日本文化の秘伝:たとえ真理から外れても、またそれも面白しとおもう境地がある。


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1.真理があって流派なし。

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(茶道具をどこに置けば絶対美となるのか、凡て計算されつくしている)

クールジャパンなる標語で日本文化が再注目されておりますが、茶道なくして日本文化を通ることはできません。茶道は華道・香道・書道が組み込まれた総合藝術でして、悟りをひらくために編みだされた日本独自の方法なのです。

現代は表千家・裏千家・武者小路千家の三千家を中心とした多流派があるものの、真理があって流派なし。もともとは千利休の茶道ひとつでした。千利休はカネワリという日本古来の建築で用いられていた絶対美の比率を茶道にとりいれた人物です。この千利休の茶道が歴史のなかで三等分されたのですから、こちらのお点前は表千家があっているけれども、あちらのお点前は裏千家が千利休の写しであるといったことをずっとやってきたのです。

 

2.東洋の絶対美、カネワリ。

rakusyo(亀の甲羅にあらわれたとされる洛書の図)

 

茶道の中枢をなすカネワリは、三つカネ・五つカネ・七つカネと場面によって使い分けますが、この発想は上の洛書の図で中央を横断している七五三(日本の七五三もここからきています)から編集されました。

洛書は左右上下、斜めに数字を足していっても、その和は子孫繁栄を意味する15となる魔方陣でもあります。偶数(陰数)である黒点の2からはじめ、時計と反対まわりに×2を掛け算していくと、陰回転の円が生まれ、逆に、白点の3からはじめ、時計まわりに×3を掛け算していくと、陽回転の円が生まれます。ふたつの異なる回転の円が、中央の5を中心に回っている姿は、中国皇帝の教育に好んで使われました。

 

 

 

 

3.地球ができるまえ、何がここにあったのか。

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(宇宙は木火土金水でできている)

 

太陽が隠れた途端に月はでます。おしまいというのははじまりのはじまりです。では、地球や太陽ができるまえには、ここには何があったのでしょうか。あらゆるものがひとつのものから発せられておりますが、実は何もない闇の世界から凡てははじまったと云えるのかもしれません。その0の先を視るのが「悟り」なのです。

茶道では、畳や棚のうえに茶道具を置く位置も茶室自体の寸法も、所作のあるべき姿も凡てカネワリで導かれています。自然の道理をカネワリで再現し、日本人は茶室そのものを小宇宙としたのです。そのため、炉には永いこと宇宙の構成要素として考えられていた木火土金水が凡てはいっています。

 

 

4.花は咲いたら、花でなくなる。

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(花は仏教で最も重きを置かれた「慈悲」を表す)

 

茶道は「茶の湯」とも云われます。「茶の湯」はもともと「茶と湯」を意味しました。つまり、茶と湯だけあれば、他はいらないという精神です。茶道にも「道」という字がついておりますが、書道にせよ柔道にしろ、「道」がつく藝は無駄を一切省くという禅と相性がよいと云われています。心に心許さず、己自身ですら借り物だと識るのを目的とした禅。いわば生死を越えた無の状態にもどろうと、日本人は茶を点ててきたのかもしれません。無という0(ゼロ)すら棄て果てたとき、そこに真理の花が一輪咲くのです。

 

 

5.名人は真理を知りつつも、あえて外す。

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(お床の軸もまた「慈悲」を表す 筆:雪底老師)

 

千利休が茶を世界稀なる藝術の域まで高めたのは、その方法が卓越であったからです。カネワリでもって計算された絶対美に茶道具を置くのではなく、もはや秘伝のひとつになっていますが、あえて最も美しいとされる点から3分(9mm)ズラしたのです。

西欧でも黄金律として絶対美が誕生し、不可思議なことにその計算方法は違えど、カネワリが算出した地点と同じことが多いのですが、「三分ズラし」という和合方法は発明されませんでした。

誰もが絶対的な美を求めれば、そこに争いが生じます。この1cmにも満たない微かなズラしこそが、争いを生じさせない先人の知恵だったのかもしれません。たとえ真理から外れても、またそれも面白しとおもう境地があるのです。

 

【参考文献】

吉田晋彩茶道教室

『南方録』 久松真一 著