1.文化主義の到来
今世紀、まさに忘れ去られようとしている文化のひとつに茶道が挙げられるかもしれません。ギュンター・グラスはドイツの政治的統一ではなく、文化的統一にたしかさを視た作家です。これからのアジアも同様に、資本主義ではなく、文化主義でもって国際的交流を計っていくべき時節なのです。
2.折り目正しき躾教育
例えば茶道をカンボジアに運んだとき、日本と同じ仏教国ですので、仏様に奉げる茶の重要性は容易にわかりあえます。ただカンボジアでは祈りを奉げる際、日本で云うところのお姉さん坐りが正式ですので、そこは正座への編集が必要となるでしょう。茶道では正座ができてはじめて、折り目正しい文化的身体教育の分母ができるからです。
3.掃除ではなく浄化
(袱紗さばきを学ぶカンボジア人女性)
同様に仏様に奉げる茶であるが故に、その茶器もまた袱紗でふき、浄化しなければなりません。袱紗さばきのなかで、ポンと音をたてて塵打ちをする一場がありますけれども、それは人々の争いを茶道では表します。そして次の所作でもって、その争いを互いに直前で譲りあうことによって回避するといった物語を編んでゆくのです。
4.たとえ真理から外れてもまたそれもおもしろし
西欧では絶対美をとることを競いあいますが、茶道では、その絶対美を識りながら、あえて三分(九ミリ)ズラすことに重きをおきます。その絶対美から外れた間がなんとも美しく、またおもしろいのです。たとえ真理から外れても、またそれもおもしろしとおもう境地こそ、次世代に伝えるべき躾なのではないでしょうか。
5.努力に逃げぬ努力
趣を身で感じてさえいればよかったものを、努力でもって頭脳を鍛える方向に舵をきってしまった日本の戦後七十年。名物や名人とは決して努力でもってつくられるものではなく、たしかな所作から偶発的にできるものなのです。古きよき日本を感じるカンボジアにて、日本人が忘れた面影を伝える。この文化的編集にどれほどの意義があるのかはわかりませんが、ふとやってよかったなとおもう微笑を、茶を服したあとのカンボジア人が時折してくださいます。