1、カオスなフリーランスの森が急速にできつつある。
昔の英國では、戦に強き男たちがフリーランスと呼ばれておりました。文字通り「自由な槍」ということで、軍への忠誠というよりは、自身の武力への評価を軸に動いていたわけです。今日の敵が明日の雇い主ということも珍しくなかったのです。企業の平均寿命が五年前後となった現代においては、「自由な槍」ではなく、「自由な情報」と表現したほうが適切かもしれません。ピーター・ドラッガー曰く、
時代は情報経済へと移ろっている
ということになります。情報革命後、実はますます情報は偏り、超情報格差社会になっているのはお氣づきでしょうか。私たちはすでにひとしずくの電子情報が紙幣よりもはるかに価値のある時代を生きているのです。
2、お金という魔法は地球のみでループし、金星にはない。
資本主義の原型は「交換」にあります。交換活動はおそらく地球外生命体でもなされていることでしょう。ただ地球の交換活動が特異なのは、カネに価格をつけ過ぎたところです。ここから利子や証券などの概念が誕生しました。ところで、「転倒」の意味はわかりますか。例えばスマホと人はよく転倒します。道具であるはずのスマホがあたかも主人のように人を使っている光景も珍しくありませんよね。主客の逆転を転倒と云うのも少しかたいので、橋姫ではこれを
魔法にかかる
と表現します。ロマンチックでいいでしょ?(笑) これまで最も地球人が魔法にかけられてきたのは紙幣でした。金星からやってきたと主張してやまないオムネク・オネクも
金星には地球のような経済システムはないわ
と苦笑しています。おそらく宇宙全体でもかなり稀な魔法なのでしょう。紙幣の原価は日本が世界一高く、一万円札は一枚十五円~二十円で刷られております。これは紙幣の背景に國家なりの信用創造があったからに他なりませんが、紙幣の魔法が情報によってとける日も意外と近いのです。
3、さなぎのリスクを考えて動かぬ青虫が羽化することはない。
これからの数年は、変化なくして生存はあり得ません。青虫が羽化する季節が地球にも巡ってきたのです。青虫を地上にはりつけていたのは、紙幣がなければ食ってはいけないという恐怖心だけでした。「だけ」とは云うものの、これはなかなか根深い魔法で、永いこととかれていません。しかし今やその魔法をとき、ひとつうえの創造的次元へと羽ばたくときがやってきています。カネはひとつの人生における調味料に過ぎません。砂糖漬けが軀に悪いように、カネ中毒もせっかくの地球寄港をつまらないものしてしまうでしょう。青虫は等しく蝶に移ろうべきなのです。しかし、
昼の次に朝がくることはない
のと同様、物事には順序というのがございます。青虫がさなぎの時期ぬきに蝶になることもないのです。うっかり青虫が蝶氣どりで空に舞ったとしても、必ず落下してしまいます。では、人におけるさなぎの時期とはなんなのでしょうか。皆さんはさなぎをどう視ますか。どこかの異国で一杯やりながら、語りあいたいですね。